欲張りな感情  
   

「遅くなっちゃったな」
思わずのように口をついた言葉が心地よい夜風に流れていく。
アルバイト後の帰り道。
リンは一人アパートへと続く川沿いの道を歩いていた。
金曜の夜はどうしたって客の出入りも多く、勤めている路地裏の小さなレストランは週で一番の忙しさになる。
繁華街から少し離れたところにあるその店は、偶然見つけて勤めるようになっただけなのだが、地元ではそこそこ名の知れた店だったらしい。
無国籍の料理を出しながら夜は酒の種類も豊富な為、若者を中心に人気があるということだ。
いつもならシフト制で遅くても九時には上がれるのだが、今日は上がるに上がれず結局十時を過ぎた頃になって漸く店を後にすることが出来た。
遅くなるかもしれないと前もってアキラには言っておいたけど、それでも少しは心配してくれているだろうかと、そんなことを思いながら、今はもうすっかり慣れた道のりをただひたすらアパートを目指して歩く。
だが、そうして足早に家路を急ぎながらも、ふと見上げた空にぽっかりと浮かぶ見事な満月に、自然とその足取りは緩やかなものへと変わっていった。
まん丸で黄色くて。
そんな満月を見て、目玉焼きの黄身みたいだよな、なんて思ってしまうあたり自分でも色気が無いと思う。
けれど今の自分には、どう見ても美味しそうな黄身にしか見えないのだから仕方がない。
それもこれもこの切ないくらいの空腹のせいだ。
いつもなら多少の賄いを食べることが出来るのだが、今日はそんな暇さえ無かった。

閉店後に、せっかくだから食べていけばいいと言ってくれた店主の好意を断ってまで家路を急ぐ理由はただ一つ。
アキラに会いたいから。
毎日一緒にいて、毎日こんなにもアキラといたいと思う。
それでも、どれだけ欲張りになればいいのか分からないくらいに好きなのだから仕方が無い。
五年の歳月を経て再会してから三ヶ月。
アキラのアパートで一緒に生活するようになってから、会えなかった時間を埋めるように互いの時間を共有し続けている。
けれど離れていた時間は思いのほかに長いもので、一分一秒でも足りないくらいに感じてしまうのだ。
例え生活を共にしていても、その全ての時間を過ごせるわけではない。
アキラも自分も、今は生きていく為に働いている。
生きることだけが精一杯だったあの頃とは違う。
それだけ離れる時間も多いのだ。
内戦の傷痕も薄れ、平和と呼べる程に穏やかになった時代に流されるように、リンとアキラも今は当たり前のそんな日常に埋もれている。
だからなのだろう。
ただそうすることがどれ程幸せかしれないのに、それでもそれ以上を望んでしまう。

「我儘、だよな」
小さく零した声に、思わずリンは自嘲の笑みを浮かべていた。
昨日より今日、今日より明日。
そんなふうに毎日同じ時間を過ごせば過ごす程、愛しいと思う気持ちが募っていく。

あまり見せてはくれないけど、アキラの笑顔にどれだけ自分が癒されているかなんて、きっと本人は全く分かっていない。
迎えてくれるその笑顔が見たいが為に、いつも寄り道一つせずに真っ直ぐに帰ることもアキラは知らないだろう。
思い浮かべたその顔に再び歩調が速まる。
この空腹を満たす前に満たしたいものはただ一つしか無い。
帰ったらまずこの腕に抱き締めて、離れていた分を補充して。
そんなことを思いながら、月明かりの中に浮かぶ緩やかな川の流れを横目に、歩き続けた堤防の上の道からアパートへと続く脇道へと折れようとした時だった。
ふと、川原へとなだらかに続く土手の斜面に不審な人影を見つけ、リンはその足を止めた。
確かに一級河川であるその川は川幅も広く、昼間の時間であれば川原にはそこで遊ぶ子供たちや散歩をする人で溢れている為、そんなところに人がいても何ら不思議では無いのだが。
今はもう夜の十時を過ぎている時間だ。
大人の膝丈まで伸びた夏草に埋もれるようにして寝転んでいるその姿は、何処か異質としか言いようが無い。
平和になりつつあるこのご時世にとうとう変質者でも現れたのだろうか。
何処か暢気とも取れるそんなことを考えながらもそれでも好奇心には勝てず、恐る恐る覗き込むようにしてその人影を確認しようと暗闇に目をこらしたリンは、
「え、アキラッ?!」
けれどそれが今の今迄早く会いたいと思っていた人物であったことに、心底驚いて声を裏返らせた。
突然辺りに響き渡った甲高い声に、仰向けに寝転んだままだった体がガサリと音を立てて起き上がる。
そうして振り返ったその姿は見間違えるわけも無い。
まるで何事も無いようにこちらを見ているその顔は、やはりアキラだった。
「…何やってんの?」
当然のように聞いたその問いに、
「星、見てた」
けれどアキラはさらりとそう答える。
「星?」
「ああ」
いつだって、アキラとの会話は会話のようで会話にならないんだよなあ、とそんなことを思いながら、リンは斜面を下りてアキラのそばへと行くと、その隣へよいしょと腰を下ろした。
膝の曲がり難い義足で座ることにももうだいぶ慣れている。
左足は伸ばしたまま、自由になる右足を曲げてその膝に腕をかけて頬を預けると、心地よく撫でていく夜風に、ほんの少し川べりの近づいただけでこんなにも涼しく感じるものなんだと思いながら、
「でも何で?」
とリンは聞いた。
確かに何も遮るものの無い川原では星はよく見えるかもしれないが、こんなことは今迄に一度も無かった。
アキラがそんなに星が好きだとは聞いてないし、そもそもこんなに満月が見事な夜では星なんて見えないのではないだろうか。
それに。
「此処で無くても部屋からでも見えるよ?」
元々周りに遮る程の高い建物が全く無いこの辺りでは、二階に位置する自分達の部屋からでも充分に満足出来るだけの眺望を得られる。 何もわざわざこんな処で変質者紛いの行動をしなくても、というのが本音だった。
「そうだけど…」
見も蓋も無いリンの言葉に、アキラは僅かに眉を顰めて拗ねたように唇を尖らせた。

その横顔が可愛いなどと不謹慎にも思いつつ、
「リンが帰ってくると思ったから」
待ってたんだ、と、けれど、ふいに継げられたその言葉に思わず声を飲み込んだ。
きっと自覚なんてまるで無いのだろう。
無意識に発したその言葉が、どれだけ自分を喜ばせるかなんて思いもしないのだ。
待っていようと思っただなんて。
そんな可愛い顔で、そんな可愛い声で言うなんて反則だよ。
ああ、どうしよう。
なんだかもう止められそうにもないや。
数秒前までなら自分もアキラと一緒に星を見たいと思ったに違いない。
けれど今はもう、アキラにしか興味は向いていなかった。
ほんの僅か、触れ合う程度に重なる肩に感じていた熱がどんどんと上昇していく。
それが自分のものなのか、それともアキラのものなのか。
そんなことすら分からなくなる程に熱が体を支配していった。
二人の間の境界線が無くなっていくような錯覚さえ感じる。
「アキラ」
気付けば、上半身を起こして座っていたその体を力づくで草の上へと押し倒していた。
「…リンッ!」
突然のことに、戸惑うように自分を見上げるその目が拒絶を訴える。
だが、眉根を寄せ、熱帯夜と呼ぶ程でなくても暑いこの気温のせいか僅かに上気した顔でそんなふうに見詰められてしまえば、僅かに残っていた理性など遥か彼方だ。
「アキラってほんっと、性質悪いよね」
分かってないんでしょ?
そう続けたリンの言葉に、きょとんとした無防備な顔を向けられてしまえばもう、出てくるのは溜息にしかならない。
そういう表情がどれだけ自分を煽るかなんて知りもせず、無意識の内に誘っているだ なんて。
「アキラが悪いよ」
責任転嫁だとかそんなことはもうどうでもいい。
此処が外で、五分も歩かない距離にアパートがあるという事実はこの際頭の中から消去することにする。
意味が分からず、何処か理不尽な顔を浮かべて自分を見上げているその顔にまた一つ諦めの溜息を零すと、
「ごめん、もう抑えきれないや」
そう言いながらリンは自身のそれをアキラの唇へと重ねた。
「ん…ッ」
突然のその感触に、組み敷いた体の下でアキラの肩がビクリと跳ね上がる。
だが、閉ざしたままの唇を舌先で開かせそれを差し入れると、それまで抵抗していた体から力が抜けていくのが分かった。
もう何度もこの体に刻み込んだ。
どんなに抗おうとしても、体が覚えた快楽には敵わないくらいに彼を抱いた。
「…ん……ぅッ…」
やがてその唇から漏れる声に甘さが混じるようになると、引き剥がそうとリンの肩を掴んでいたアキラの指先が快楽を抑える為に縋るような指先へと変わっていく。
きつく皺が出来る程に握り締めるその指をそっと剥がし、そうして頭の上へと縫いとめるように押さえつける。
絡めた指先が、口付けに応えるように握り返された。
今はもう、自分のものよりも細いその指先がやけに頼りなく感じる。
骨ばって血管の浮いたそれは決して女のように華奢なわけでは無い。
その名を馳せる程に彼が強かったことも知っている。
けれどどうしてか、その手を取って自分が守ってやりたいと思ってしまうのだ。
その無防備なまでの彼の全てを自分のものにしたいと感じながら。
「はっ…」
漸く解放された唇が急いたように酸素を求めて開かれた。
激しく胸元を上下させながら、力なく潤んだ瞳でアキラが縋るようににリンを見上げる。
熱を帯びて暗がりでも分かる程に鮮やかな朱で染まった目淵が、まるで誘うように何かを訴えている。
それが抗うためのものか、それとも求めるためのものか。
逡巡する余地も無く、勝手に後者と受け取ってリンはふわりと笑んでみせた。
「アキラ可愛い…」
思わず口にしてしまった、体型の差から今では不自然でも無いそんな感情も、実は出会った頃から感じていたものだったということをアキラは知らない。
そんなことを言ってしまえばきっと拗ねてしまうに違いない。
けれど元よりアキラに対して思っていたものは、そんなふうに何処か母性を擽られるようなそんな感情だったのだ。
男の自分に母性なんてあるのだろうかと思わなくもないのだが、アキラに関してだけ言えばあながち間違いとも言えない。
無意識に無防備なその姿に、どうしたって庇護欲を掻き立てられてしまうのだ。
「…リン」
咎めるような口調のアキラの言葉に、
「もう駄目だよ」
リンは容赦なくそう言うと、再び啄ばむような口付けでその先の言葉を塞いだ。
僅かに身じろいだせいか、背にした夏草が擦れて青臭い匂いが鼻腔を擽る。
酷く懐かしい匂いでもあった。
遠い昔に、嗅いだことのあるような。
しっかりと指先を絡め、そうしてもう片方の手でアキラの着ているTシャツをたくし上げると、綺麗に隆起した筋肉を撫でるようにその中へと忍ばせていく。 透き通るように白い肌が月明かりに怪しげに浮かび上がる。
そうしてその胸元には、もう既に色づいて芯を持った飾りが二つ。
まるで愛撫を待っているかのように鎮座するそれにリンは一人ほくそ笑むと、迷うことなくその一つを爪先でそっと弾いた。
「あッ」
途端に零れた甘い声に自分の中の雄の性が刺激される。
もっと、その声を聴きたいと思う。
「アキラ…」
耳元に寄せた唇で耳朶の奥に注ぎ込むように名前を呼ぶと、一瞬アキラの体が強張るのが分かった。
だが密着させた下肢に感じるその感触は確かなもので、
「ねえ、アキラが欲しい」
直接的な言葉でそう強請れば、それに抗えないことも知っている。
きっともう、アキラ自身此処が外だということなんてどうでもよくなっているに違いない。
例えまだそうだと分かる理性が残っていたとしても、そんなもの無くせばいいだけの話だ。
胸の突起を弄んでいた指先を下ろすと、今度は確かな熱を訴えているそこへとリンは触れた。
「く……ッ…」
鼻にかかった声が縋りつくように埋めた肩口から耳元へと響く。
その声にまた体の熱が上がっていくのが分かった。
何度抱いても飽くことの無い体。
愛しくて止まない彼だからこそ、この想いが際限なく求めてしまう。
「アキラ」
優しく宥めるように幾度もその名を呼びながら、既にもう熱を持って勃ちあがりかけているアキラのそこへとリンは触れた。
「…ッ」
ジーンズの上からでも、直接そこを撫でる指先の感触にアキラの体は敏感に反応した。
緩やかに下から上へと掌全体で揉み上げるようにすれば、もう既にその熱で浮き始めていた腰が不規則にそれ以上の快感を求めて揺れている。
何度も何度もその部分だけを強く刺激していると、やがて荒い呼吸の音の中に僅かな水音が混じり始めた。
くちゅりとその感触を指先に感じ、それがアキラの先走りだとすぐに分かる。
刺激を与え続けたその摩擦で熱くなったジーンズの前の合わせへと、リンは手早く指先を差し入れた。
ベルトのバックルを外し、そしてジッパーを下げる。
「リ…ンッ」
こんな屋外でそこを露にされてしまうことにさすがに今更ながら羞恥を感じたのか、咎めるようにアキラが声を上げた。
僅かに自由になる片方の手で力なく肩を押し返すその手を、けれどリンはいとも簡単に彼の頭上に一つにまとめて縫いとめてしまうと、
「ここで止めたらアキラが辛いでしょ?」
わざとそれを言い聞かせるように耳元で囁く。
「…ッ」
自分の体がどうなっているのかなんてことはアキラ自身が一番よく分かっている筈だ。
否定することも反論することも出来ず、それでも僅かな反抗のつもりか、与えられる快楽と羞恥で上気した顔を背けるように横を向いてしまった。 そんな反応が可愛くてしょうがない。
そしてこんなふうに男を煽る術を無自覚でやっているのだから性質が悪い。
露になった悩ましい程に白い首筋へと唇を寄せると、くっきりと赤い痕が残る程にきつく吸い上げた。
「んッ…」
と同時に上がる甘い声に、いよいよ自我を抑えきれなくなっていく。
ジーンズと下着を一緒くたに膝まで下ろし、そうして開かせた片方の足からそれを抜き取ってしまうと、その間に膝を割り入れ、既に先走りでぬらぬらと光りを放っているアキラのそこへとリンはおもむろに指先を伸ばした。
「あッ…、ん……ふ…っ」
天を向いて勃ち上がっているそれを握り込み、ゆるゆると上下に扱くように手を動かせば、薄く開いたアキラの唇からは止めど無く嬌声が漏れ続けた。 先端からはだらだらと透明な蜜が溢れ指先を濡らしている。
与えられる快感に理性を手放したのか、アキラは従順にそれを受け入れていた。
快楽に身を委ねたその姿はむしろストイックでさえある。
どうしてか、どんなに自分の下で乱れても、彼の持つその透明感が失われることは無いのだ。
それは、そんな彼を抱いている自身が罪悪感を感じる程だった。
攻め立てていた指の動きが僅かに鈍ると、顔を逸らしたままだったアキラがおもむろに視線を戻し、真っ直ぐに自分を見上げた。
濡れた瞳で何かを訴えるように見詰められる。
その目を綺麗だと思いながらそっと彼の頭上で一つに縫いとめていた手を離すと、力なくそれが持ち上がり、そうして首筋へとしっかりと回された。 縋るように感じるその重みが心地いい。
「リン…」
掠れた声で呼ばれた名前に、再び追い立てるように彼の中心を握り締めた指先が愛撫を再開する。
「あっ…、リ…ンッ……、も…っ」
「…いいよ、イッて」
耳元に響く昇りつめるように息を乱す声に、リンは自身のそれも熱く脈打つのを感じながらそう促す。
そしてその言葉に後押しされるように、
「あ…ッ!」
短く息を飲むような声が聞こえ、次の瞬間掌の中のそれが弾けた。
断続的に吐き出される白濁が自身の腹部から胸元へと飛散する。
透き通るような白い肌に、粘着質の白濁が飛び散ったその様は眩暈がしそうなくらいに淫猥だ。
「は……っ…」
やがて全てを吐き出すと、首筋へと回されていたアキラの腕がずるりと落ちた。
鬱蒼と茂る夏草ががさりと音を立て、その衝撃を受け止める。
放心しきったままのアキラの瞳は何処か虚ろだ。
零れ落ちる涙を掬うように、リンはそこへと口付けを落とすと、
「どうしよう…アキラが好きすぎてどうにかなっちゃいそう」
そのまま顔を埋めた耳元で早口にそう言った。
重なる体の間でまだ温い温度を保っている吐き出された欲望が服を濡らすのも構わずに、リンは熱く熱を持った自身のそれを強く押し付けるようにアキラの下肢の間へと擦り寄せた。
一度精を放ち、萎えていたそれがその感触に熱を取り戻していく。
「アキラが欲しい」
今度ははっきりとそう口にしたその言葉に、投げ出されていたアキラの腕がゆるゆると持ち上がり、そして抱き締めるようにリンの背中へと回された。
「……から」
聞き取れない程に小さな声にそっと頷く。
きっと、求めているのはアキラも同じだ。
白濁で濡れた指先をそっと後部へと伸ばすと、その期待から微かにひくついているそこへと触れた。
「…ッ」
もう何度となく抱かれ、痛みよりも快感が勝ってしまうその感触にアキラの体が僅かに強張る。
柔らかなその入り口を撫でていると、まるで誘い込むように指を持っていかれた。
「んっ…」
甘い声に促されるままつぷりと人差し指を差し入れる。
何処よりも熱いその感触に、リンの雄は窮屈なジーンズの中でその体積を増す。
もう、抑えきれない。
「…アキラ」
切羽詰った声は自分でも可笑しいと思える程だ。
だがそんな自身を抑えることも到底出来ず、
「いい…?」
まるで余裕の無い声でそう聞きながら、既に片方の手はベルトのバックルへと伸びていた。
「…ん……ッ」
僅かに頷きを返すそれを肯定の意と受け止めると、リンは解放した自身のそれをアキラの後部へとそっと押し当てた。
おざなりに解しただけのそこに先端を押し当て、何度も何度も孔の淵をなぞるようにして先走りを塗りつける。
「…ごめん、ちょっと、我慢して」
露になっていたアキラの片方の足を大きく開かせて抱え上げると、
「アキラ…」
熱く猛った自身の雄をゆっくりと埋め込んでいく。
「は…ッ、…ぁ……っ」
その衝撃を受け止めながら、それでもやはり感じる苦痛に顔を歪めるアキラの額や頬に何度も口付けを落としながら、リンは深く繋がりを求めて腰を進めた。
「あッ…、ん……ぅっ、…ッ」
忙しく上下する胸元と、耳元に響く苦しそうな呼吸に、リンは何度も何度も優しくその髪を撫でた。
「…っ」
やがて全部呑み込まれると、
「……ら、……動いて…から」
今度はアキラが強請るようにそう言った。
受け止めてくれている。
求めてくれている。
そう思うだけで何故だか胸が苦しくなるのを感じた。
アキラは此処にいる。
確かめることなど無くても、いつもその存在は自分のそばにいてくれる。
それだけで堪らなく幸せだと思った。
「リ…ン」
自分を呼ぶその声に応えるように、
「…好きだよ」
そう一言告げると、後は内から込み上げる欲望のままにその体を抱いた。
背中に突き刺さるような満天の星空と満月を感じながら……。









「あ」
ふと、思い出したようにリンが声を上げる。
そうだ。
そうだった。
そうして思い出したそのことに一人納得していると、寄り添うようにして瞼を落としていたアキラが、
「…どうしたんだ?」
ふいに身じろぎながら掠れた声で聞いた。
何処か気だるげなその体はまだ思うように動かないらしい。
最も、そうさせてしまったのは他でも無い自分なのだが。
そんなアキラの髪をそっと撫でると、リンは独り言のように続けた。
「夏草の匂いがさ、何かすごく懐かしいって思ってたんだ」
行為に至る前から、自分達を隠してしまう程の高さに伸びたそれの匂いを記憶の中の何処かにあると感じていながら思い出せなかったのだ。
トシマにいた頃も、よくこうやってビルの屋上に寝転んで星を見上げていた。
だがその時とは違う懐かしさが此処にはあった。
厚い雲が垂れ込めて澄んだ空を見ることの無かったあの街とは違う。
枯れ果てた草木しか無かったあの街とは。
懐かしいこの匂いと、そして晴れ渡る夜空に浮かぶ満天の星と。
それを見たのはもう遥か遠い昔のこと。
まだ幼い自分と、そしてその隣にいた、……今はもう無い兄の存在。
「……」
開きかけた口を閉ざすと、リンはそっと隣に寝転ぶアキラの髪へと鼻先を埋めた。
「…リン?」
そして不思議そうに問うアキラの声に、
「甘えさせてよ」
そう一言。
優しく自分の髪を撫でるその手の温もりを確かに感じながら、そっとその瞳を閉じた。
あれからどれだけ感じたのかしれない孤独も今はもう無い。
確かな存在が隣にいる。
ただそれだけでよかった。
そう思っていた筈だったのに。
昨日よりも今日、さっきよりも今と、この想いは募るばかりで際限を知らない。
ただ隣にいてくれることがどれだけ幸せなことか分からないのに。
それでも止むことなく求めてしまう。
それはとても欲張りな感情。
見上げるこの夜空に浮かぶ星の数よりもきっと、たくさんの想いが詰まった感情だ。

「アキラ…」
彼の名を呼ぶ。
「ん…」
そして優しく頷くその声に満たされながら、
「好きだよ」
ありったけの愛を込めてそう囁いた。
  written by 梶井まき  
   



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