新しい明日  
   

「……まだ参加してんの? でもきっと、見に来てるんだろうって思ってたけど」

「……遅くなってごめん」



内戦が終結して、3年。

ほんの数日間だったのに、
一生分とも思える様な様々な出来事の起きたトシマを離れて、5年。
振り替ええることですら、躊躇った。
自分の願う気持ちが見せただけの、幻であることが怖くて。
全く別の人物が声をかけて来たのが、彼の声に聞こえたのかもしれない。
そうでなければ、ただの幻聴と言うことだって有り得る。
間違いだった時の動揺は、
期待すればするだけ、それに比例する様に大きくなる。
なけなしの勇気を振り絞り、震える足を叱咤しながら振り仰いだ、先。
鮮やかな夕日を背にして立つ青年は、抜ける様に白い肌と金色の髪。
深い蒼の瞳は、5年の年月を経ても全く変わっていない。

あの日交わした約束の通りに、リンが帰って来た。

何度、もう戻っては来ないかもしれないと思ったか。
約束は忘れられているかもしれない。
……もしかしたら、もう生きてさえいないのではないか。
一体何度、そんな考えに囚われたか。
アキラは、手渡されたばかりの、
リンの実兄であるシキのものであった日本刀を、ぎゅっと握り締めた。
刀身と、柄の冷えた感触とが、これは夢ではなく現実なのだとアキラに語っている。
伏せた瞳を閉じ、深く呼吸をして。
改めてリンの姿を見た。
あの時のまるで少女の見紛う様な容姿と、
アキラの腕の中にすっぽりと収まり、見下ろせる程細く小さかった身体つきは一変している。
今度は、逆にアキラが見上げなければならない位の背丈で、
大人びた柔らかな笑顔を浮かべている。
花が綻ぶ様に華やかに笑う癖に、
時折酷く冷酷で身を射抜く様な強い光を放つことのあった瞳の奥には、
今は、ただただアキラに会えたことへの安堵だけがある。
鈴を転がした様な軽やかな声は、
甘さを残したままに低く、心地良く伸びやかになっている。

リンの成長と、変化。

それはアキラに、再会出来たことへの喜びと同時に、
締め付ける様な胸の痛みと、指先を刺す様な切ない痺れを持って、
離れていた年月の長さを痛感させた。

あの日。
トシマでの、最後の日。

「シキを探しに行く」と告げられた時。本当は、何としても引き止めたかった。
源泉に、リンを止めなかったことを責められた時、
誰よりも手を離してしまったことを後悔していたのは、アキラ自身だ。
ディバイドラインが封鎖されてしまえば、トシマから脱出することもままならないだろう。
それに、シキと戦ったところで、生きていられる保障もない。
そう。
リンが挑もうとしていた相手は、あのシキ。
腕に覚えのある、荒くれ者ばかりが集まるトシマの、イル・レの地位に君臨していた男だ。
彼の強さは、何より実際対峙したアキラが良く知っている。
幾ら、リンが強くても。
Bl@star最強のチームとして有名だった、
ぺスカ・コシカの頭(ヘッド)・コートと呼ばれていたリンであっても、
あのシキを倒せる可能性は、限りなく低い。
寧ろ、ないに等しいかもしれない。
それに、万全の体勢であるならまだしも、
アキラと剣を交えた時に、
リンはアキラの持つナイフによって左足の大腿を浅からず傷つけられていた。
けれど、これは自身のけじめだから、と。
シキを倒して、自らの枷を断ち切りたいと、
そうして初めてアキラの隣に立てる気がするからと、
瞳に強い力を秘めて真正面から見つめてくるリンを止める手段は、
その時のアキラは持ち合わせていなかった。 いや。
持ち合わせていたとしても、最後には、きっとああするしかなかったのだろう。

『俺は、アキラを信じたから。アキラも俺を信じろよ。……嘘ついたら、殺してもいいから』
『……必ず追いかける』

たとえ、生きて会える可能性は絶望的でも。
アキラを信じて自らの弱さを晒し、腕の中へと飛び込んで来たリンを、
今度はアキラが信じてやるしかなかったのだ。

「んで、アキラ。Bl@star見てくの? エントリーしてる、とかじゃないよね?」
「あ、ああ……。何となく、足を運んでただけだから」
「そ?」

じっと見つめてくる視線から逃れる様に俯けたアキラの顔を、
下から覗き込む蒼い瞳は、深く澄んでいて。
アキラは何故か、頬に血が上るのを感じた。

「じゃあ、帰る? ……って、あー……俺は家も何も、ないんだけどさ」

だから帰るって言うのも、ちょっと可笑しいかもしれないけどね、と。
ちょっと寂しそうに笑うリンに、アキラはようやく言葉らしい言葉を発することが出来た。

「それなら、…………れば、いい」
「え、何? アキラ」
「……からっ! ……俺の部屋に来れば、いい」

その割に、最後の方は細くフェードアウトしてしまって、
リンのきょとんとした眼差しが痛い。
自分でも、顔が赤くなっているのが分かる位に熱くなっている。
あんなに会いたいと思っていたのに、いざ本人が帰ってきてみればこの様だ。
言いたいことも、聞きたいこともたくさんある筈なのに、
まるで頭の中が空っぽになってしまったかの様に、何一つ気の利いた言葉が出て来ない。

「アキラ……、いいの?」
「……『戻ってくる』って、言っただろうお前。あの時。……嘘だったのか?」
「俺は。アキラに……嘘は吐かないよ」
「だったら、来れば……いい」
「ん。ありがとう、アキラ。……ただいま」
「……おかえり、リン」

ふんわりと微笑んだリンの、温かな手が。
そっと、アキラの頬を撫でた。




  ****




アキラが住む部屋は、市街地から少し離れたところにある。
さっきまでいた、寂れて薄暗く、
柄の悪い落書きに塗れた通りから連れ立って抜け出し、
これから家に戻ろうとする人々が行き交いする、未だ人気の多い大通りを歩く。
左脚が義足であると言うリンのペースに合わせて、ゆっくりと。
歩みを進める度微かに左右に傾ぐ身体が、義足であることの不便さと不自由さを物語っていた。
荒れ果てたトシマを離れて更にトウキョウを抜けるのは、
五体満足だった源泉やアキラでも困難が多かった。
それでも事前に源泉が用意した偽の書類や、
源泉の口添えのお陰で何とかやり過ごすことが出来たのだ。 そんな場所を、
傷を負ったリンが通り抜けてくるには、どれ程の苦労があっただろう。

『待っててくれた? 俺を』

リンはそう言ったけれども、アキラがリンを待っている保障は何一つない。
ただ、トシマで交わした口約束だけを頼りにするしかない。

『正直、途中で駄目になりかけた時もあった。もう、このまま諦めようかって。
けど、それじゃ何も変わらない。自分の殻に閉じ篭ってた時と同じだ。
だから、諦めなかった。……諦めなくて良かった』

そして実際にリンは、その約束だけを頼りにここまでやって来たのだろう。
アキラ自身、揺らいだのだ。
だから源泉と一緒だからとは言え、
アキラが無事トシマを抜けた確証もなければ、待っていてくれると言う保障も一切ない。
このまま待っていても、
リンは戻っては来ないかもしれないとアキラが感じた様に、リンも揺らいだに違いない。
手負いであれば尚のこと、その絶望の歩み寄りは早かっただろう。
その上、アキラには何かあれば源泉に相談出来ると言う安心感があった。
決して独りではないと言うそれが、今日までアキラを支えてもいた。
けれど、果たしてリンはどうだっただろう。
ずっと独りで、痛みと孤独を相手に戦い続けてきたのではないか。
シキに戦いを挑むのも、トシマを、そしてトウキョウを脱出するのも、
全て自分ひとりの力で乗り越えなければならず、
そしてその間ずっと、リンはアキラとの約束だけを胸に抱き、拠り所にしていたのだ。
そう思えば切なくもあり、
反面リンにはずっと自分だけだったのだと言う優越感の様な昏い喜びも浮かんで来て、
アキラはその考えを振り払う様に、頭を左右に振った。

「アキラ? どうかした?」
「な、何でもないっ」
「そう? それならいいけど」
「もうすぐ、だから……」

そうして、ふたりがアキラの部屋に着いたのは、
赤く色づいていた空が、深い闇に覆われる頃。
ほんのりとした街灯が照らす角を曲がって見える、2階建てのアパート。
その2階の一番端が、アキラに宛がわれた部屋だ。 ここは、源泉がアキラの為にと人づてに探して来てくれた場所だった。
古びていてそう広くはないけれども、ひとりで住むには十分であったし、
AREA:RAYにいた時に暮らしていた部屋に比べたら、何より温もりの様なものを感じる気がする。
『古い』とは言ってもそれなりに手入れは行き届いていて、
ちゃんと水も出る。
住人は、余り接触を持ったことはないけれども、
アキラと同じ様にひとりで生活している人がほとんどだ。
すれ違えば会釈位はするが、それ以上長く会話をすることも互いの生活に干渉してくることもない。
だいぶ慣れたとは言え、
まだまだ人付き合いを苦手とするアキラにとっては、その位の距離が丁度良かった。
源泉は、もしかしたらそんなアキラの性格を見越して、
ここを選んだのかもしれない。
ポケットの中から鍵を取り出して玄関のドアを開けると、
油の切れかけた蝶番がギイッと軋んだ音を立てる。
招き入れたリンが、物珍しそうに部屋の中を見回すのが気恥ずかしい。
大したものもない、必要最低限の家財道具を集めただけの、簡素で且つ質素な部屋だ。
けれどもリンは「アキラらしい部屋だね」と言って笑った。

「水は冷蔵庫に入っているし、腹が減ったなら台所の棚にソリドが……」
「……アキラ、まさかソリドばっかり食べてたりしないよね」
「…………」
「あー、もう、アキラってそうだよね、ホント」
「『そう』って、何だよ……」

アキラは、昔から食に対する欲求や物欲と言うものがないに等しい。
トシマにいた間も、
まともに食事を摂ったのはケイスケと共に過ごした最初の晩のソリドしか、記憶に残っていない。
その後も、リンがタグと引き換えに持って来てくれた水や食料を、
行動するのに足手纏いになるからと一式を入れたバッグごと捨てたりもした。
何かあると、食事のことは後回しになる。
優先順位がどんどんと下がっていってしまうのだ。

「アキラ、さあ。そんなのばっかり食べてると良くないよ?」
「………………作れないから、仕方ない」

そう言われても、アキラはそもそも料理をしたことがない。
孤児院から引き取られた先、『家族』と呼ぶ集まりの中に身を置いていた時は、
食事は全て『母親』が用意していたし、
その型枠から数年で抜け出した後AREA:RAYで独り、流されるままに生活をしていた時は、
情勢の不安定さ・治安の悪さも手伝って、食事と言えばソリドしか手に入らず、それが定番だった。
戦争が終結した直後に比べれば、この辺りでも随分と様々な品物が流通し始め、
比較的何でも手に入る様になって来てはいる。
けれども物価はまだまだ高く、
幾らアキラが紹介して貰った仕事のお陰で、そこそこ暮らしていかれるだけの収入があるとは言え、
調理に失敗して台無しにする材料費のことも考えれば、ソリドを買った方が断然手頃なのだ。
このアパートに入居した時、
アキラはリンが言ったのと同じ様なことを源泉からも言われていた。
簡単なもので構わないから、きちんとした食事を摂る様に。
少し多めに米を炊いても小分けにして冷凍すれば保存が効くとかいった食材のちょっとした保存法と、
アキラにも作れそうな料理――例えば、野菜炒めなど――を、
伊達に長い間男ひとりやもめ暮らしをしてはいないのだと、
変なところで威張りながら源泉は幾つか教えてくれた。
けれども、実際にアキラがそれを実行したのは、
ここで暮らし始めた直後の、ほんの数日の間だけ。
しかも、そのほとんどが焦げたり生煮えだったりとまともに食べられる様なものにはならず、
その内に新しく始めることとなった仕事に慣れなければならなくなったアキラは、
料理や食事といったものから、一切遠ざかってしまった。
元々他人との接触が苦手なアキラには、それは無理もない話だった。
ただ、食事をしなければ体力が持たず、そうなれば仕事にならないからと思うから、
せめてとソリドと水だけは口にしているだけのこと。
ソリドだけでも、食べているだけまだマシな方……、いや、アキラにとっては上出来なのだ。

「作れない、ってさ……もしかして、アキラってかなり不器用だったりする?」
「……五月蝿い」
「まあ、器用な方じゃないなとは思ってたけどさ、トシマにいた時から。
 ……そっか、それじゃ俺が作ろうか」
「……って、リン、料理出来るのか?」
「んー、そう凝った難しいものじゃなければ、それなりに。アキラ、台所勝手に使っていい?」
「あ、ああ……」

返事を聞くなり、リンはパタパタと棚を開け冷蔵庫を開け、食料を物色していく。

しばらく前に、
源泉から「日持ちするから」と言って根菜やら缶詰やらレトルトの類、それから米が送られて来ていて、
それを見たリンは、これなら簡単な食事は出来そうだと振り返る。
慣れた手つきで器用に包丁を操るリンの姿は、アキラは初めて見るもので。
その上、料理をしている人間を久し振りに見たと言う珍しさも手伝って、
苦笑したリンが「アキラ、危ないよ?」と言うまで、その肩越しに覗き込んだり後ろを歩き回ったりしていた。

「そうだアキラ、そんなに気になるなら、これ、ちょっと味見して?」
「味、見……」
「うん。……はい」

そうか、邪魔だったかと、
部屋の奥に引き返そうと思っていたアキラをリンが引き留めた。
野菜の入ったスープを鍋からスプーンでひと掬いして、
何度か冷ます様に息を吹きかけてから、アキラの前に差し出す。

「……自分で、やる」
「いいじゃん、もう掬っちゃったしさ。だから……はい」
「…………」

明らかに楽しそうな顔をしているリンの手ずから、口にスープが流し込まれる。
少量のそれをこくりと飲み込みながら、
まるで子どもが親に給仕されている様だと、アキラは気恥ずかしくなって、視線を逸らし顔を伏せた。
でもリンはそれを、アキラには気に入らない味だと受け取った様だ。

「ごめん、もしかして味合わなかった?」
「いや、……」
「そう? なら良いけど、俺の好みでやったからさ。
 苦手だったらどうしようかと思った。……あー、でも……」
「……でも? 何だよ」
「んー? 何て言うかさあ、俺とアキラって新婚夫婦みたいだよねーって」
「し、んこっ……!」
「あははっ、アキラ顔真っ赤! 照れてる?」
「ば、馬鹿っ……、誰がっ!」

顔を覗き込んでくるリンの、
すっかり広くなってしまった胸を突き飛ばして、アキラは台所を離れた。
夫婦。
夫婦、って何だ。
リンとアキラは、トシマでしっかりと致してしまっているので、
今更性別がどうこうと差別をするつもりもないし、
その時の出来事を気の迷い云々で否定もしなければ、忘れてもいない。
けれど、こうして正面から、何かしらの関係を当てこすられると、非常に恥ずかしい。

「……前も思ったけどさ、アキラってホント、初心って言うか可愛いって言うか。
 しかも天然だし、それで良く今日まで無事だったよねえ」
「可愛いって言うなっ……」

仮にも、男なのだから。
源泉もアキラに対して良くそれに似た形容詞を使うが、
アキラにとっては非常に不本意で不愉快だ。
自分のどこが『可愛い』に値するのかすら、理解出来ない。
天然……かどうかは、ともかく。
時々空気が読めなかったり、言われていることが理解出来ない時があるのは認めるけれども、
最後の『無事』と言うのも意味不明だ。

数十分後。

少々不貞腐れているアキラの目の前に並べられたのは、
アキラにとっては本当に久し振りの、ほわりと温かな湯気の立つ食事だった。

食事を終えた後は、今度はふたり並んで食器の片付けをして。
一日の終わりには、一部屋にひとつ狭いながらも辛うじて付いている風呂場で、
交互にシャワーを浴びた。
アキラが風呂から上がってきた時、
先に入浴を済ませ、金色の柔らかな髪の毛を拭きながら床に腰を下ろしているリンは、
Tシャツとハーフパンツという姿で。
その左足の先、
本来なら、ハーフパンツの裾から見える筈の脚がないのを改めて目にしたアキラは、
一瞬ぎくりと身を震わせた。
右足は、すらりと長く伸びているのに、左足だけが存在しない。
義足が着いていた時は、
「片足がない」と聞かされても動き辛そうだとか不便そうだ位にしか、感じなかった。
漠然と「ああ、ないのか」とは思っていても、
聞くのと実際に目にするのとでは、やはり全く別だった。
首にタオルをかけたまま、
敷居のところで立ち尽くすのを不思議に思ったリンが、アキラを呼ぶ。

「アキラ、そんなところで立ってたら風邪ひくよ?
 まだ髪の毛も拭いてないじゃん。水が垂れて……、……アキラ?」
「あ、……っ、……」
「なに? ……あー、そっか。ごめん、やっぱびっくりするよねー。
 最初見た時、俺だってちょっとびっくりしたもん」

アキラの目に映っているものに気づいたリンは、
笑ってはいるけれども、どことなく苦い表情だった。

「もう、だいぶ使い慣れた方なんだけど、義足ってさ、やっぱり疲れるんだよね。
 まあ、でも初めて見る方からすれば、ある筈のものがないのって気持ち悪いよね」

「……や、別に……」
「無理しなくていいよ。俺も、気抜き過ぎてた。嫌な思いさせてごめんね、アキラ」

悪いのはまるで自分の様な顔をして、リンは脇に置いてあった義足を手に取った。
こんなだけど、何もないよりはマシだよね、と。
一度外した義足を再び嵌めようとする手を止めたのは、
切ない表情にはっと我に返り、弾かれる様に駆け寄ったアキラの手。

「ごめん。……そう言うつもりじゃ、なかった」
「うん、別にアキラが悪い訳じゃないし、気にしなくていいって」
「そうじゃない、そうじゃなくて。……別に、気持ち悪いとかじゃない。ただ……」
「……ただ?」

アキラは、昔から本当に口下手だった。
他人の反応にも視線にも無関心な方だったから、
そのせいで大切な親友だったケイスケをも傷つけ、そして失った。
人生経験が豊富でちょっとお節介な年上の男は、
煙草を口の端に銜え苦い顔で、アキラを「不器用」だと言ったけれども、
だからと言って過ぎてしまった過去は戻らず、失ってしまったケイスケも二度と戻ってくることはない。
周りには、そうやって笑って許してくれる人間もいる。
源泉もリンもアキラの不器用さを知っているから、黙っていても先回りして考えて、許してくれる。
けれど、いつまでもその人たちの優しさに甘えてばかりいては駄目なのだ。
言葉が足りずに誤解されてしまったなら、誤解されたまま放っておいてはならない。
例え、追い縋る姿がみっともなくても、何度も話して分かり合わなければ。

もう二度と、大切な人の手を離すことのない様に。

何の為の、5年間だった。
また同じことを繰り返していては、何の意味もない。
同じ轍を踏むのだけは避けなければならないのだ。
アキラはリンの向かいに座って、
不自然に途中で途切れた、その中身を確認する様に大腿の辺りから手のひらで探る。

「アキ、ラ?」
「ただ……、細くて綺麗な脚だったのにと思っただけだ……。
 痛かった、よ、な。俺よりずっと、辛い思いをしたんだよな」
「アキラ……」
「けど、リンが。生きてて、良かった。約束を信じて、待ってて良かった。
 リンが、俺を信じていてくれて、良かった」
「…………ア、キ……」

大きく見開いていたリンの蒼い瞳が滲んで、
じっと見つめているとその瞳から大粒の涙が零れ落ちた。
今ここでようやく、本当に肩の力を抜くことが出来たのだろう。
『途中で駄目になりかけた』のは、冗談でも何でもなかったのだ。
歩く為に必要な脚の片方を、手放すことになった。
血液を失い過ぎて危うく命を落としかけたりもしたし、
傷が塞がるまでの痛みもリハビリも、壮絶なものだった。
何度も諦めかけて、それでも歯を食いしばってここまで、たったひとりで歩いてきたのだ、
ぽろぽろと、後から後から涙を零すリンの頭を引き寄せて、
アキラはその頬や額、伏せられた瞼の上、と何度も唇を押し当てた。
ほんの少し躊躇って、幾粒もの涙を拾った唇をリンのそれとそっと触れ合わせる。
初めは柔らかく表面を摺り合わせて熱を確認し、それからゆっくりと合わせを深く。
口腔の粘膜が触れ合った時は、久し振りの感触に感動すら覚えた。

「……っ、ん……」
「ふ……、アキラ……」
「んっ、んうっ……」

急に強く引き寄せられてしまい、
ばくばくと早いテンポで上下する胸に気づかないでくれと祈りながら、
アキラはリンの胸を押し返そうとした。
けれどもそうして触れたリンの胸も、アキラと同じ様なテンポを刻んでいるから、固まってしまう。

「アキラ、……好きだよ」
「リ、ン……、ぅあっ……」

耳に吹き込まれた滑らかな声、
アキラの腰を抱いていた腕は、いつの間にかアキラの胸元を探っている。
つんと立ち上がった小さな尖りを弄られ、
その刺激はそのまま下半身へと落ちていって、下腹部に熱が溜まり落ち着かない。

「ま、待て、待てって! こら、リンっ!」
「待たないよ。俺もアキラの声で……こんなだし」
「あ、あっ……!」

ひと回り大きくなった手で、
下着の中からあっさりと引き出されてしまったそこは、情けないことに既に先端が濡れて滑っている。
もうずっと一人で処理するどころではなかったのだから、
仕方がないと言えば仕方がないのだけれど。
何だか、前とは立場が逆ではないだろうかとか、
そうなると今度はアキラがリンを受け入れることになるのだろうかとか、
疑問が幾つも浮かんできて、けれども絡んだ足の間、
もうしっかりと自己主張をしている性器を押し付け合う様に更に抱き込まれたアキラは、
軽い恐慌状態に陥ってしまって、結局はそれを口に出すことが出来なかった。

「リンっ、……は、ぁっ……あ……」
「ん、アキラ……、肌が熱くて気持ち、いいっ……」

相変わらずリンに主導権を握られたままというのも釈然としないが、
戸惑う気持ちに反して身体はどんどんと反応をして、
自分の性器とアキラの性器とを重ねて握り込んだリンの手に、擦り付ける様にして腰が揺れてしまう。
くちくちと粘着質な音が漏れ始めてしまえば、アキラはもう耳を塞ぎたい程恥ずかしくなった。

「……や、ば。もう、すぐイキそう……」
「う、くぅっ……、は、あっ……、あ……!」

ふたりがねっとりと白濁した欲を吐き出すまで、そう時間はかからなかった。




  ****




翌朝。

アキラは目覚ましとは違う、軽やかな電子音によって起こされた。
身体に絡まっているリンの腕を退け、
渋る目を擦りながらぺたぺたと手で周辺を探ったアキラは音の発生源を見つけ出し、通話ボタンを押した。

「……は、い」
『よう、アキラ。何だ、悪い、まだ寝てたか』
「ああ、まあ……。そう言うオッサンは、これから海外じゃなかったのか?」
『そうなんだが、昨日ちょっとな……。
 ある話を聞いたもんだからよ、こりゃアキラに伝えにゃならんと思ってな』
「話?」

珍しく、急いた様な口調が電話越しから聞こえてきた。
後ろのざわめきと流れてくるアナウンスから、どうやら源泉は既に空港にいる様だった。

『あのな、アキラ。良―っく聞けよ。リンが……』
「リン? リンなら……」

今、ここにいると言いかけたアキラの肩に、
リンの顎が後ろから乗せられる。
金色の柔らかい髪の毛がふわりと頬を掠めて、
そこからは、アキラの使っているものと同じソープの香りがしている。

「何? アキラ、オッサン……て、源泉?」
「あ、ああ。リン、重い。ちょっと離れっ……」
『おい? 何だ、どうした? アキラ』
「ちょっと貸して」
「貸して、って……、おい、リンっ?」

背中からすっぽりと、薄い綿のTシャツを纏っただけの胸に抱き込む様にされて、
伝わってくる体温に赤面したアキラの手から、リンはさっさと携帯電話を取り上げてしまう。

「もっしもーしっ!」
『あぁっ? 何だお前、……その声、もしかしてリンかっ?!』
「当ったりー。っつーことで、アキラにはもう俺が傍にいるから。
 新婚さんの邪魔はしないでくんない? 年寄りは、後は自分の心配だけしてなよ。んじゃねー」
『ちょっ、あっ……、おいっ?!』
「はい、終了っと」
「リ、ンっ……!」

電話越し、大声で叫んでいる源泉を綺麗さっぱり無視したリンは、
躊躇いもなくぶちっと通話を切ってしまう。
挙句、ご丁寧にも電源まで落としてベッドの下へ放ってしまうものだから、アキラは慌てた。
無駄だとは知りながらも、
また源泉から電話が来るのではないかと思って、携帯を拾い上げようと伸ばした腕は、
携帯に届く前にリンの手に捕らわれてしまう。

「いいじゃん。アキラも元気、俺も元気。ね」
「それは、そうだけど……」
「そしたらーっ、……えいっ!」
「う、わっ……!」

すっかり成長して大きくなった、リンの身体。
トシマにいた頃は、勢い良く飛びつかれたところで数歩よろめく程度だったけれども、
今では全く敵わない。
どさりと押し倒され、シーツへと縫い付けられた腕は、ぴくりとも動かない。

「ね、アキラ。今日、仕事は?」
「休み、だけど。……おい、リンっ! 手、離せっ」
「それじゃあ、今日は一日ゆっくり出来るよね? ……昨日の続き、しよ?」
「は?! ……ちょ、どこ触ってっ……!」

下着も全部潜り抜けてするりと滑り込んだ、不埒な指。
朝にはどうにもしようのない現象を起こしている部分を、直に触れられてしまえば、抵抗もままならない。

「えっへっへーっ、やっとアキラの身体に触れる」
「さ、触れっ……?」
「うーん、筋肉つきまくりで厳めしくなってたらどうしようかなーって思ってたんだけど細いまんま、
何かもう、色っぽくなっちゃったよねー。だから……」

今度は、俺がしていい? と。
組み敷いたアキラの身体を、隅々まで眺めて嬉しそうに笑うリンから、
果たしてアキラが主導権を取り戻せる日は、来るのか。
  written by 吾妻れん  
   



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